2022年4月30日土曜日
六地蔵石幢の通った道
2022年4月28日木曜日
一石六地蔵と磨崖の六地蔵と六地蔵石幢と
どこの墓地でも必ず見かける風景です
宝蔵寺一石六地蔵 |
名張市内では一石に彫成された一石六地蔵さんが多くみられますが
在銘のものの中では平尾宝蔵寺のものが貞享四年(1687)と古く
これらは江戸中期から爆発的に流行したようです
峰の六地蔵 |
その前はどうだったでしょうか?
六体の地蔵さんを石に刻むという行為は
磨崖に彫ることの方が早く始められています
室町後期から安土桃山時代にかけて多くみられて
伊賀市諏訪の六地蔵さんとか同じく伊賀市島ヶ原の峰の六地蔵さんとかが
磨崖に刻まれた六地蔵さんです
有明の六地蔵石幢 |
さらにその前はどうだったでしょうか?
地蔵さんを六体横一列に並べるということは
それより前の時代には行われていません
横一列ではなく六角の石柱に六体の地蔵さんを彫るということが行われています
これが六地蔵石幢です
三重県で本格的に作り始められるのは室町時代からですが
それより前の時代の物もあります
2022年4月27日水曜日
三重県の六地蔵石幢について はじめに
六地蔵石幢の数は全国的にみるとかなり地域差があって
東北や九州などたくさん残されている地域もあれば
多分全く残っていない地域もあるのかとおもいます
例えばお隣の奈良県内では数基しか確認されていません
では三重県内ではどうかというと
これはかなり多くが残されていそうです
わたしが把握しているだけで五十基を超えていますから
ひょっとするとその倍近くあるのかもしれません
「石仏」とか「石造美術」という範疇において六地蔵石幢の多さは
三重県の特徴の一つと言えるかもしれません
近県の状況には全く無知ですから 断定はできませんが
多くの石幢はいつもお花が絶えずに 今なお在所で大切にされていますが
一方では寺院の片隅で眠るように置かれたままのものもあります
特に複数の石材を組み合わせた石灯籠型のものは
部材が散逸してしまったものも多く
既に所在不明になっているものもあります
数百年にわたって我々庶民の祈りを聞いてきた地蔵さんですから
これからも長くそこにあってほしいとおもうのですが
近年の町や村の様子の変化を眺めていると心もとなくも感じます
わたし自身もずいぶんと年をとってしまいましたから
自分の身体が動く間に石幢の所在と現状を記録しておきたいとおもいました
美術史や民俗など系統的に学んだわけではありませんから
間違った理解や独りよがりな解釈があるとおもいます
ぜひご指摘いただけたらとおもいます
書いては直し 直しては書きしていきたいおもいます
仲楽寺の六地蔵石幢 津市安濃町太田
安濃川の左岸に広がった田園は 南北に伸びる河岸段丘に遮られてしまって 田園と低い丘陵との境目に沿って集落が並んでいる 車で不用意に在所の小道に入り込んでしまうと 進退きわまってしまいそうで 離れた場所に車を捨てて しばらく在所の中を歩いていく 仲楽寺は明治時代に廃寺となって その...
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多分この石幢が三重県の最北に残る石幢だろうとおもいます 桑名市多度町古野 県道と並行して延びる旧道に沿って南条という集落が広がっています 民家の連なりが切れたところに 立派な六角堂が見えてきました 中を覗き込んでみると 美しい六地蔵石幢がお祀りされています 御堂の前の案内板から引...
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