2022年4月30日土曜日

六地蔵石幢の通った道


上の写真は六地蔵石幢の所在を地図上に落とし込んだものです
グリーン系のマーカーはおよそ室町時代以前の石幢
オレンジ系のマーカーはおよそ江戸時代以降の石幢です
グレーのマーカーは造立された時代が不明な石幢です
おおよその目安として作ったものですから 正確さを欠く点はお許しください

①伊勢市の周辺
伊勢市・旧小俣町・旧二見町・明和町とたくさんのマーカーが集中しています
②伊勢本街道から和歌山別街道を通って伊勢に接続する沿道の地域
多気町丹生周辺・旧美杉村多気周辺・名張川上流域・名張街道の沿線とグリーン系のマーカーが点々と続いています
③初瀬街道を通って旧三雲町で伊勢街道に接続する地域
時代ははっきりしませんが旧白山町・旧一志町・旧嬉野町とマーカーが並んでいます
④安濃町の東部の安濃川沿岸と西部山間部

時代が古いグリーン系のマーカーに注目して眺めると
当初は②の伊勢本街道と和歌山別街道の沿線と街道が接続する①伊勢の周辺とで石幢の造立が始まっています そして伊勢周辺ではその後も江戸時代を通じて造立が続いていいます
③の地域では初瀬街道に沿った伝播しているのがわかりますが 青山峠の東側平野部だけで 西側の旧青山町には繋がっていないように見えます 白山町周辺のマーカーは雲出川に沿って②の旧美杉村多気周辺と関連しているように見えます 造立年代が知れない石幢が多いのですが 近世の頃には造られなくなり 六体の地蔵石仏に移行していったろうとおもいます
④安濃町のマーカーは安濃川に亀山と津を結んでいて 西部山間部は経が峰東麓の県道亀山白山線に沿って亀山と白山を結んでいますが この辺りも近世には流行が終わっているようです




2022年4月28日木曜日

一石六地蔵と磨崖の六地蔵と六地蔵石幢と

お墓参りにいくと墓地の入り口で出迎えてくれる六地蔵さん

どこの墓地でも必ず見かける風景です

宝蔵寺一石六地蔵

名張市内では一石に彫成された一石六地蔵さんが多くみられますが

在銘のものの中では平尾宝蔵寺のものが貞享四年(1687)と古く

これらは江戸中期から爆発的に流行したようです

峰の六地蔵

その前はどうだったでしょうか?

六体の地蔵さんを石に刻むという行為は

磨崖に彫ることの方が早く始められています

室町後期から安土桃山時代にかけて多くみられて

伊賀市諏訪の六地蔵さんとか同じく伊賀市島ヶ原の峰の六地蔵さんとかが

磨崖に刻まれた六地蔵さんです

有明の六地蔵石幢

さらにその前はどうだったでしょうか?

地蔵さんを六体横一列に並べるということは

それより前の時代には行われていません

横一列ではなく六角の石柱に六体の地蔵さんを彫るということが行われています

これが六地蔵石幢です

三重県で本格的に作り始められるのは室町時代からですが

それより前の時代の物もあります

2022年4月27日水曜日

三重県の六地蔵石幢について はじめに


三重県の六地蔵石幢について少しまとめておけたらおもって
ブログを開くことにしました

六地蔵石幢の数は全国的にみるとかなり地域差があって

東北や九州などたくさん残されている地域もあれば

多分全く残っていない地域もあるのかとおもいます

例えばお隣の奈良県内では数基しか確認されていません


では三重県内ではどうかというと

これはかなり多くが残されていそうです

わたしが把握しているだけで五十基を超えていますから

ひょっとするとその倍近くあるのかもしれません

「石仏」とか「石造美術」という範疇において六地蔵石幢の多さは

三重県の特徴の一つと言えるかもしれません

近県の状況には全く無知ですから 断定はできませんが


多くの石幢はいつもお花が絶えずに 今なお在所で大切にされていますが 

一方では寺院の片隅で眠るように置かれたままのものもあります

特に複数の石材を組み合わせた石灯籠型のものは

部材が散逸してしまったものも多く

既に所在不明になっているものもあります


数百年にわたって我々庶民の祈りを聞いてきた地蔵さんですから

これからも長くそこにあってほしいとおもうのですが

近年の町や村の様子の変化を眺めていると心もとなくも感じます



わたし自身もずいぶんと年をとってしまいましたから

自分の身体が動く間に石幢の所在と現状を記録しておきたいとおもいました


美術史や民俗など系統的に学んだわけではありませんから

間違った理解や独りよがりな解釈があるとおもいます

ぜひご指摘いただけたらとおもいます

書いては直し 直しては書きしていきたいおもいます

またご存じの石幢があれば 情報をお知らせいただけたらと思います





仲楽寺の六地蔵石幢 津市安濃町太田

安濃川の左岸に広がった田園は 南北に伸びる河岸段丘に遮られてしまって 田園と低い丘陵との境目に沿って集落が並んでいる 車で不用意に在所の小道に入り込んでしまうと 進退きわまってしまいそうで 離れた場所に車を捨てて しばらく在所の中を歩いていく 仲楽寺は明治時代に廃寺となって その...