2022年7月3日日曜日

松阪市嬉野薬王寺町 善福寺の六地蔵石幢

子供の頃は小野町の向こうは隣の町だとおもっていましたが
平成の合併で今では松阪市嬉野薬王寺町になりました
田畑に囲まれた低い丘陵に広がった集落の北の端にある善福寺
その山門の脇に 重制の六地蔵石幢が佇んでいます
一見して完品のように見えますが 龕部以外は別材でしょうか
竿石に元禄の文字が見えていますが年号は読みとることができません
龕部に彫られた地蔵さんらは 美しく整った姿で残されています
江戸中期からは少し遡ることができるのではないでしょうか
子供の頃に 母の自転車の後ろに乗せられている時に 自転車の車輪に足を挟んでしまったことがあります
すぐに近所の病院に行って診てもらったのですが
お医者さんに「これは一生傷になるな」と言われたことが 母は大変ショックだったようで
翌日には今度は父のバイクの後ろに乗せられて
こんどは「やこおじ」に連れていかれきました
嬉野薬王寺町にある病院のことで みんな「やこおじ」と呼んでいました
昭和初期のレトロで不思議な感じの建物で よその病院では治せない人でも治せるのかなあと
何か特別な患者さんになったような気分がしたのと
父母が妙に焦っているのが 申し訳ないような気分でした
冷たい金属の寝台に横になったのはレントゲンを撮ってもらったのでしょう
白い容器にピンク色の蓋がついたクリーム色の軟膏をもらって帰りました
特別な秘伝の薬を出してもらったのだとおもっていました
そんな病院もすぐそばにあります

2022年7月1日金曜日

桑名市多度町 古野の六角地蔵

多分この石幢が三重県の最北に残る石幢だろうとおもいます
桑名市多度町古野 県道と並行して延びる旧道に沿って南条という集落が広がっています
民家の連なりが切れたところに 立派な六角堂が見えてきました
中を覗き込んでみると 美しい六地蔵石幢がお祀りされています
御堂の前の案内板から引用させてもらいます
「六角地蔵」
御堂の中の地蔵尊は六角の花崗岩の各面に、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の六つの善悪の業を救済する姿を薄肉彫りにしたものです。
あまり見られない貴重な御尊像で、村人はもちろん近在の人々に厚く信仰されています。
(伝説)
むかし、一人の行者が員弁郡中津原のススキの中で倒れていた地蔵を見つけ、それを背負って一之原、前山を通って古野の山まできたとき、「もうここで、結構だ」というお地蔵様の声がしたのでそこにおろしたということです。
また、あるとき古野の年貢米を、香取の土場から船で出そうとすると、おりからの突風で船が沈みそうになりました。そのときお地蔵様が「古野の米を運んだ船が沈むぞ」と大声で三回叫びました。その声を聞きつけて古野の若い衆が、その場にかけつけ、おかげで難を救うことができたといわれています。
さて、以前は前の山(肱江川の南)に安置されていましたが、明治時代になって現在の場所に移されました。
今でも八月二十四日の地蔵盆には、村の青年会や南条の人びとは、お供え物をし、盛大に供養しています。
なお、現在の建物は昭和五十二年三月に建て替えられました。
                 桑名市教育委員会

三重県のホームページにある「伝えたい三重のおはなし」の中でも 多度町の「六角地蔵」として紹介されています
花崗岩と紹介されていますが 閃緑岩のような青石に見えます
僧衣の裾を大きく開いた地蔵さんが 薄い肉彫りで彫られています
ごく小さな手をした地蔵さんらで それぞれに持物を持っているるのですが それらもとても小さく形作られているようです 
笠石は当初のものかとおもいますが 形がいびつで宝珠の形も少々へんです
枠取りの縁に荒々しいノミの痕が残っているところも不思議ですね

仲楽寺の六地蔵石幢 津市安濃町太田

安濃川の左岸に広がった田園は 南北に伸びる河岸段丘に遮られてしまって 田園と低い丘陵との境目に沿って集落が並んでいる 車で不用意に在所の小道に入り込んでしまうと 進退きわまってしまいそうで 離れた場所に車を捨てて しばらく在所の中を歩いていく 仲楽寺は明治時代に廃寺となって その...