2023年2月2日木曜日

鈴鹿市東江島町 北の端の地蔵堂の六体地蔵

少し前のブラタモリで浜名湖のウナギ養殖を取り上げた回があった 
番組の中では『浜堤 (ひんてい) 』ということばがでてきた 
波によって砂礫が陸に打ち上げられて 海岸線とほぼ平行につくられた自然の堤のことだが 二列〜三列と複数の堤が平行してできていくことが多く その堤の高いところには街道や鉄道が通り 低い湿地を鰻の養殖に利用したといった内容だったとおもう 
江島もそのような浜堤の上に引かれた伊勢街道の町である 
江島と聞くと よそ者のわたしなどは  あゝ体育館の辺りか とおもうのだが  実はそのあたりは近年急速に街地化したエリアだ  
明治に入った頃の地図で その頃に江島が属していた白子町の様子を眺めてみると 砂嘴の内側の白子港を中心に 伊勢街道に沿って南は寺家の辺りから北は塩浜街道との分岐までびっしりと民家が集まっている ここを昔は参宮の旅人が列をなして歩いたのだろう
そんな白子町の集落の北端が江島である 伊勢街道と塩浜街道とが分岐する追分に北の端の地蔵堂がある
現地案内板より引用
北の端の地蔵堂
『このお地蔵さんは、今より800年前の鎌倉時代(1192〜1333)に作られたもので、石像本体周囲に六體の菩薩が刻まれている。六體とは五欲の憂世に六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)に迷う衆生を救う六分身を表す。また、お地蔵さんはその昔江戸時代(1603〜1867)から北の端の地蔵さんと呼び、お守寺悟真寺古記録にも霊験あらたかで願うことかなわざるなし、遠近の信者が多く 毎年8月24日の縁日は善男善女の参詣が列をつくるなどと付記されている。  更にまた、江戸時代寺家、白子などから江戸方面へ型紙等の行商に出る人らは、この地蔵さんで無事を祈り、ここでせつない見送りをした。』 
現地案内板より引用
六体地蔵菩薩縁起 
『そもそも当六体地蔵尊は、鎌倉期の作と推定されます。 
土地の住民、遠近の人々及び その昔参宮道を行きかう人々の信仰をあつめ「六体地蔵大菩薩」とあがめ 又は「北の端の地蔵さん」として参詣し親しまれてまいりました。 
当地蔵尊は、もと原永にあったものを当時須原町に住む山形五郎という網元が当地に安置し、民心の平安と疫病退散を祈願しておりました。そして土地の人々も何時しか力を合わせ、日常のお供えも絶えずに無地平安な生活を送ってまいりました。 
後に 北本町伝右エ門の後家様が畑を寄付し、明治二十三年十一月八日、もとの須原町より移り御堂も整い結構なかまえとなりました。その後昭和七年三月、浄財を得て御堂を再建し いよいよその信仰盛んになってまいりました。 
地蔵菩薩を尊崇する当地の人々は 常に心安らぎ 昔の参宮街道を往来する人々の安全を祈り、自行代他皆が力を合わせそれらを親切にもてなし 地蔵菩薩には香華を捧げ 日常のお供えも絶えずお陰で悪い流行病もなく 平安無事な生活を送ってまいりました。 
悟真寺の古い記録にも「霊験あらたかにして願うこと叶わざるなし由って隣村は固より遠来の信者多く 毎年八月二十四日の御縁日は善男善女 参拝するもの睹をなせり」と記してあります。 
また当時 参宮の途次この地蔵菩薩の霊験を受けその「一分身」として帰って祀り 今もなお各地でお地蔵様をお祀りしております。(例 静岡県沼津市)これも当地蔵菩薩の功徳のあらわれであります。 
地蔵菩薩本願功徳経、十輪経、十王経 等諸経に説かれてある如く 当地蔵菩薩は 周囲に六体の菩薩を拝し すなわちこの五褥の悪世に六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道)に迷う衆生を救うべく六つの分身をあらわす六体地蔵菩薩であります。』 

これらのことは角川の地名辞典にも載っていて 
江島の近世の項に
『網元山形谷五郎の寄進をうけた地蔵が祀られていた』 
近代の項には
『字須原に祀られ信仰を集めた地蔵は、当町の地蔵として祀ることになり、明治23年現在地に移る。』とある

摩耗が激しく細かな点はわからないが やはり重制石幢のようだ
組み合わさった部材が当初のものかどうかもわからないが
二段重ねにされた笠石は上の小さい方に軒反りのような反りが見られる こちらが当初の笠石かもしれない
龕部の下に敷かれた石材は 僅かに蓮弁の縁のような線が見えている 中台が逆さに使われているだろうか
大きい方の笠石は 全くの別材でなければ基礎石か
宝珠と請花は見えないのでよくわからない
今でも「六体地蔵さん」と親しまれ 大切にお祀りされていることがわかる
石材の組み合わせなどは些細なことである
鈴鹿市内ではあまりお会いすることのない六地蔵石幢である 

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